清水一行

株式会社壽屋
代表取締役社長 清水 一行氏

PROFILE

1953年に玩具店として東京立川市に壽屋設立。以来立川に本社を置き、「感動と驚き」を提供する玩具メーカーとして事業を展開。1986年二代目代表取締役に清水一行が就任。1995年にエヴァンゲリオンをいち早く商品化。この頃からホビーショップ以外にプラモデル・フィギュアメーカーとしても注目される。2010年世界60ヶ国以上の中より、当社がワーナーブラザーズ 最優秀ハードライセンス賞を受賞。5部門中3部門を壽屋、トヨタ、ユニクロの日本企業が獲得する快挙を果たす。最近では可動フィギュアの「キューポッシュ」やプラモデルの「フレーム・アームズ」などの自社ブランドにも注力。本年5月には立川本店を新たにオープンさせ、地元 “立川”を盛り上げるべく様々な地域活動に参加している。

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ホビー・グッズ業界を牽引するリーダーたちにフォーカスを絞り生の声をお届けする、カフェレオ 内山田の対談企画。第6回目のゲストは今年で設立63年目を迎えた玩具類の老舗直販メーカー 株式会社壽屋 代表取締役社長 清水 一行氏に登場していただきました!

いつの時代もトレンドを読み解く独自のセンサーで、長きに渡り業界を牽引されてきた清水氏が大切にされているものは「どうやったらお客様が喜んでくれるのか?」という飽くなき探究心でした。

業界の重鎮的ポジションながら最前線に立ち続ける清水氏。「雑談」と称して思いもよらぬ方向に話題が広がって行きましたが、会社の成り立ちを交え内山田との経営者ホンネトークも必見のロングインタビューをぜひお楽しみください!

[スピーカー]
株式会社壽屋 代表取締役社長 清水 一行氏
株式会社カフェレオ 代表取締役 内山田 昇平
取材日:2016年4月12日 場所:壽屋
構成:里見 亮(有限会社日本産業広告社)

地元に根付くキャラクターを通して、地場を盛り上げられたらなぁと思っています。

内山田 昇平(以下/内山田):お忙しい時期に本当にありがとうございます。今日はどうぞよろしくお願いいたします。

清水 一行氏(以下敬称略/清水):こちらこそよろしくお願いします。どんな感じで進んで行くのですかねぇ?(笑)

内山田:この企画はですね、あまり畏まらずにやっておりまして、経営者同士の雑談をそのまま掲載するようなものができればと思っています。

清水:なるほど。そこでいうと今タイムリーな話で、ちょうど来年の新卒募集のために久しぶりに求人サイトへ募集情報を掲載しているのですが、注目企業ランキングで名立たる大企業に混ざって2位にランキングされたんですよ。

内山田:すごいですね!やはり注目されているのですね。壽屋さんのネームバリューと規模というのもありますが、業界自体も若い人に注目されているのだと思います。

清水:有り難いですよね。今回はなるべく視野を広げて多くの人を採用したいなと思っています。そういえば今年4月入社の新卒の中に、箱根駅伝を走ったマラソンランナーがいるんですよ。実際にフィギュアが好きで弊社に入りたかったみたいです。だからこれを機に陸上部を作りました。ちゃんと陸上連盟に登録もしたんですよ。

内山田:おぉ本格的ですね!

清水:陸連に加入するには審査があってそれが結構厳しいらしいのですが、弊社は立川ハーフマラソンのスポンサーをしていることもあり、いろいろな方の協力もあって無事審査を通過できました。その時に聞いた話だと、駅伝などで実力がある選手が企業に就職しても多くの方は10年くらいで記録が出なくなり会社も辞めてしまうらしいのです。だから弊社のように仕事のベースがあって、ちゃんと面倒を見てくれる企業は有り難いと言っていただきましたね。

内山田:そういった今後のプランも含め、陸連からすると歓迎なのでしょうね。となるとユニホームの胸の辺りに壽屋さんのロゴを入れて…

清水:そう、それはもうスポーツメーカーさんと話を進めていて、レース用のユニホームを作っています。販売用にアレンジしたユニホームも作って秋葉原で発売しようかと思っていますね。

内山田:それは面白いですね。

清水:レースが1ヶ月に1回あり、遠征費などは会社が負担して参加しているのですが、20キロなら彼は1時間を切るタイムを出すのです。だからテレビ放映が入っているレースを選んで、20キロまでは先頭集団に入っていて欲しい!と言っているんですよ。

内山田:よくテレビに映るぞと。(笑)

清水:そうそう。もう今はそれだけで十分です。(笑)まぁでも本当に一生懸命練習してますね。

内山田:きっかけがいいですよね。こちらからスポンサードしようというわけではなくて、純粋にフィギュアが好きで壽屋さんのユーザーだったというところが。でも新しいと思います!マラソンというのも面白いです。今度清水さん主催で業界の駅伝大会など開催されてはいかがですか?

清水:いや、それは無理でしょう。(笑) そこまで皆元気ないんじゃない?ずっと椅子に座っている人たちばかりだから。(笑)

内山田:訪問途中に駅で『くるりん』を拝見したのですが、御社も関わられているキャラクターと伺いました。どのような経緯で関わられたのでしょうか?

清水:立川市のイメージキャラクターを作りましょうということになり、弊社も選考委員として参加させていただきました。何点か候補が絞られたのですが、そこで1位に選ばれたのが『くるりん』だったのです。ですが、自分たちは2位の『ウドラ』の方が「キャラクターが立っていていいよね!」ということになり、『ウドラ』を「立川市公認なりそこねキャラクター」として弊社で版権を管理し、商品展開をしています。例えば「ウドラノート」や「ウドラキーホルダー」などを作って、商業施設等で地元商品として販売しています。地元に根付くキャラクターを通して、地場を盛り上げられたらなぁと思っていますね。公募から選出されたということで、デザイナーの方も喜んでくれたのが嬉しかったですね。

内山田:なるほどですね。立川もこれから益々変わって行くのでしょうね。

清水:変わるでしょうね。弊社の前の空き地にも大きなホテルが建つらしいですし。

内山田:いわゆるオリンピックまでにということですかね?

清水:いや、もっと先かなぁ…?というよりは「立川のグレードを上げて行こう!」という話はあるので、対外的にももっと立川をアピールするために変わって行くということなのだと思います。先月新社屋に引っ越して来たのですが、そういう意味では最終的にとても良いロケーションへ引っ越せたかなと思っています。

内山田:そうですよね。地価も上がりそうですね!そういったことを目論んで…

清水:そんなことはないです!(笑) そんなね、内山田さんとは違うから!

一同:(爆笑)

内山田:僕はそんなに商売上手じゃないですから〜。(笑)

清水:商売上手とかいう以前に、そんなこと考えてないですから!(笑)

問い合わせを受けた商品は次来店してもらった時には必ず置いてある店づくりをしてきました。

内山田:改めて壽屋さんの設立についてお伺いしたいのですが、設立が1953年。今年で63年目!この時清水さんは生まれていたのでしょうか?

清水:生まれてないですね。昭和28年に設立して、僕はその翌年に生まれました。創業自体は昭和23年ですけどね。

内山田:「玩具店」ということですが、当時の玩具店とはどういった感じだったのでしょう?

清水:う〜ん、おもちゃ屋。一緒か。(笑)

内山田:でも、今の「おもちゃ屋」とはちょっと違いましたよね?

清水:今「おもちゃ屋」ってそもそもあります?昔ながらの「おもちゃ屋」ってなくなったのでは…?今はおもちゃ屋自体が量販店に入ってたり、デパートにコーナー展開しているけれど、あれはおもちゃ屋ではないと思います。当時は積み木や、木でできた赤ちゃんの乳母車みたいなものを売っていましたね。

内山田:物心ついた時には「うちの家は玩具店なんだ」という認識はあったのでしょうか?

清水:ありましたね。お店の裏が自宅だったので、問屋さんから新商品が入ってくると店頭に並べる前にまずは自分が遊ばせてもらって、遊び過ぎて壊してしまうと問屋さんに「これ返品です」と…。(笑)

内山田:ひどいなぁ。(笑) でも当時はそういうことも笑って許されるような空気感というか風潮でしたよね。

清水:そうですね。だから両親は困ったようですよ。クリスマスは普通おもちゃをプレゼントするのに、うちはおもちゃがいくらでもあるから。今でも覚えているのは、昔タカラ社の『ダッコちゃん』という腕に括り付ける人形がすごい流行って、やはりうちにもありました。でも、お客様に出すには数量が足りなかったのか?理由はわからないのですが、店頭には並べなかったようです。ある日店先で「ダッコちゃんありませんか?」とお客様に聞かれて親が「ありません」と答えたのですが、その傍らで「裏にあるよ!」と僕が言ってしまったんですね。後で散々怒られた記憶があります。(笑)

内山田:小さい頃はお店のお手伝いなどされたのでしょうか?

清水:昔、実家兼お店が火事になり住むところがなくなってしまい、一時期お店の倉庫に住んでいたことがありました。倉庫だから商品が入ってくるのですが、朝の6時くらいから大声で起こされ「手伝え~!」と言われて。当時は本当にそれが嫌で、大きくなったら絶対サラリーマンになろう!と思っていましたね。(笑) それと商売をやっているとなかなか家族で一緒にご飯を食べたり、ゆっくり過ごす時間というものがなかったですね。

内山田:当時はお店を継ぐとは考えていなかったと…?

清水:ぜんぜん考えていなかったです。でもうちの祖父が「長男が後を継ぐ」という考え方だったので、必然と継ぐことになりました。継いだ直後は、親のやっていることに不満があったかもしれないですね。商売人の家だから、そもそも親子の会話もあまりなかったし。まぁ当時はまだ若かったので、反抗というか抵抗というか…。正直そういう気持ちはありましたね。

内山田:その気持ちはわかりますね。清水さんが社長に就任された1986年というと、僕が15歳の時だったのですが、僕は昭島市出身なのでよく地元から自転車に乗って壽屋さんに通っていました!

清水:おぉそうでしたか。ありがとうございます。

内山田:青梅線内からすると立川は新宿みたいな街で。近所から行ける範疇の大都市みたいな感じでした。(笑)

清水:そうですよね。弊社の現社員にも「元お客様」が4~5名はいるんですよ!もう古株になりますが。(笑)

内山田:その頃の清水さんご自身は、模型などに興味はあったのですか?

清水:これは笑い話かもしれないけれど、僕はイヤイヤ後を継いでいるので、この業界への思い入れはというと…。本当にサラリーマンになりたかったですからね。模型自体は小さな頃からたくさん作っていたのですが、説明書を読まずに作るから中の細かなパーツを組み立てないまま外側をセメダイン(接着剤)で固めてしまって、工程を戻そうと思ってもぐちゃっとなり失敗してしまうというパターンで…。

内山田:性格が出ていますね。(笑)

清水:そうそう。(笑) 自分が社長をやるようになってからは、お客様の模型に対する情報のレベルが高いのと、自身も知識を付けなければいけないのでいろいろ会話もしたのですが、お客様からすると「すごく知っていて、商品のことを好きなのだろう」という視点で見られるのでそのギャップが辛かったかもしれないですね。でもやはり自分の中では、お客様からの商品の問い合わせや他店の在庫状況の話を少しでも聞いたら仕入れるようにしたし、次来店してもらった時には絶対置いてあるようにしていました。

内山田:コミュニティとしてすごく役割を果たしていたのでしょうね。

清水:多分ですがそれはあったと思います。

その時に得た教訓が「売れるか売れないかわからないものはやっておけ!」と いうものでした。(笑)

内山田:壽屋さんのメーカーとしてのはじまりは何だったのでしょうか?

清水:立川近辺は美術大学が多くて、美大生やクリエイターの卵が多かったんですね。その頃ガレージキットのはしりのような商品を弊社でも売り出したら好調で、そのうちに美大生たちが自分で作ったものを持ってきたり、「こんなのも作れますよ」と見せてくれるようになったので、それならば試しに作って売ってみようかとなったのがそもそもの始まりですね。それこそ最初の頃はお店の裏にレジンキャストを置いて、型を作って流し込んで製造していました。「これください」と言われてから「ちょっと待ってくださいね」と裏にピューと行ってボンボンと作って「はい、できたてです」とやっていましたね。(笑)

内山田:当初から「メーカーをやって行こう!」と意識されていたわけではないのですか?

清水:全然意識していなかったです。

内山田:全然なんですね。(笑)

清水:お店の裏で作るところから始まったのですが、ある時広告を出したら商品がとても売れ出して製造が間に合わない状態になりました。そこで製造業者さんを紹介してもらい依頼して作るようになったのですが、しばらくすると話の流れでその製造業者さんごと弊社で面倒を見ることになりました。ですが1年もしないうちにその方たちが辞めてしまい、機械はあるものの経験のない自分たちが作らなければいけなくなってしまいました…。困った末に知り合いに相談したら作り方を教えてくれるということになり、それからはいろいろなご縁で自身で商品を製造して行くことになりました。ある時、とある超有名なキャラクターの版権許諾の提案をいただいたのですが、その時の僕は「こんなキャラクターなんて売れるわけないだろう」と思って断ってしまったんですね。その後この話を他社が受けて、生産依頼が弊社に入ってくることになりました。

内山田:また戻ってきたわけですね。(笑)

清水:はい。(笑) 結局、その後とてもヒットしましたよね。今思うと、とてももったいないことをしたなぁと…。その時に得た教訓が「売れるか売れないかわからないものはやっておけ!」というものでした。(笑)その次のエピソードがあって、今度も有名なテレビアニメの版権のお話をいただき、やはりその時も「なんじゃこりゃ…こんなの売れないわ!」と思ったのですが(笑)前回の教訓があったからやってみよう!ということになり、結果大ヒットしました。最初は弊社が作った商品しかなかったので、もう製造が追いつかなかったくらいでしたね。

内山田:次に店舗についても少しお伺いしたいのですが、やはり秋葉原のお話から。ラジオ会館が耐震工事のための立ち退きを迫られた時、入居する店舗さんたちはどこへ移転するのだろうかと皆必死に情報収集していましたね。そうしたら壽屋さんが別の建物に丸々一棟入るって噂をお聞きして。もう業界大ニュースでしたよ!

清水:初めにラジオ会館の2階に出店して、その後「1階が空いたのでどうですか?」と声を掛けてもらって出店したのですが、路面店は初めてだったんですよね。やはり1階は別格ですね!

内山田:かなり違うのですか?

清水:全然違います。街を歩いている関係のない人をお店に呼び込むというのは、お店の力だと思うのです。2階は関係のない人歩いていないから。目的があって買いにきてくださるから。商品の内容も勝負といいますか挑戦できると思ったんですよね。

内山田:この時で商売を始められて20年経っていますが、20年間やられてきてラジオ会館にお店を出される時に、何といいますか…「小売りの商売感」というのは変わりましたか?

清水:変わりましたね。1階をオープンする時に、弊社は模型屋だから2階と同じようなことをやるのだろうと周りからも思われていたようですが、お客様に合わせてもっとグッズや雑貨などのライトな商品も扱おうと考えていました。最初の頃なんて周りの問屋さんからこれでいつまでもつのかと心配されましたよ。

内山田:メインとされている模型やフィギュアに対してグッズや雑貨は単価が低いですからね。

清水:そこで立ち退きの話が上がっていろいろ物件を検討したのですが、現在入居している建物が空いている情報があり一棟借りようとなりました。最初はラジオ会館の1階のイメージで始めたのですがぜんぜんだめで。そこは会社帰りにふらっと人が立ち寄るようなロケーションではなかったので、取り扱い商品がだいぶ変わりましたね。そこの客層に合わせてオリジナルでTシャツやお菓子を作ったり、お土産商品を考えたりしました。焦りもなかったわけではないのですが、皆でコツコツとやっていましたね。

内山田:今や秋葉原のアイコンのひとつになっているお店も、当初はいろいろあったのですね…。それとイベントも結構たくさん実施されていますよね?

清水:5階をイベントフロアにしているのですが、結果的にだけど実はそこを埋める商材が足りなくて。(笑)

内山田:あっ、そうだったのですか。(笑) お話を伺っていると、時代の流れにすごく自然に動いて行っている印象がありますね。

結構失敗もしていますよ。

内山田:それはトライ&エラーをくり返して前進されているということでもあるかと…。

清水:そうですね。昔社員が30人くらいの時は自分が先頭に立って、ある意味自分の分身を作るみたいにあれこれ指示を出していたのですが、ある程度の年齢になって「今、何が流行っているのか?」もわからないし、逆に今の子にうるさく言ってもダメかなぁと思ってきました。一番ショックだったのが、社員の子が「今度この商品を出します」と持ってきたのを見て「いや~これは売れないだろう!」と断言したんですよ。そうしたらその商品がすごい売れて!その時に「嗚呼、もう僕はダメだぁ~」と思いましたね。(笑) あとは社員に任せよう!と。

内山田:その気持ちわかります。(笑) とは言いつつ、口を出したくなってしまうんですけどねぇ。

清水:今は人数が増えたからあれやれこれやれとは言わないのですが、「お客様を裏切ってはいけない」など絶対にやってはいけないことは伝えています。もう変な話、宗教の教祖様みたいなことしか言っていないですね。(笑)

最終的に「気が合う」「意見が合う」「気持ちが通じる」ということが、お客様もそうだし営業にも会社にも言える大切なポイント。

内山田:副社長でもおられる奥様についてもお伺いできればと思っていまして。『バットマン』や『スターウォーズ』等のプロダクトは副社長が扱われているのですよね?

清水:はい。彼女はもともと営業担当でして。といいますかもっともっと遡ると、今から25〜6年前、アメリカでガレージキットのイベントがあって、今でも覚えているのですがそこに自分が一人でナイトメアという商品のキャストキットを持ち込んだのです。当時は完成品でなければ買ってくれないという状況の中でしたが「でも自分たちはこの商品を売って行くぞ!」という強い意志を持って、そのイベントに何年も出続けたのです。そうして出展を続けるうちに知り合いが増え、たまたまその中にルーカススタジオのアーティストたちも出入りするようになって、弊社の商品を気に入って買ってくれました。その時に「壽屋」という名前を覚えてくれたようで、何年も後に『スターウォーズ』のライセンスの許諾を受ける時に「壽屋にライセンスを下ろしてあげて」と言ってくださったようです。後から聞いた話ですけどね。

内山田:クリエイターの人たちから評価されてバックアップされることは嬉しいですよね!

清水:当時日本では「壽屋」なんてそんなに知られていなかったわけで、それがアメリカの良いところだと思うのですが、やっていることをちゃんと評価してもらえるとその後は早くて、会社としての評価もしてもらえるようになったと思います。

内山田:清水さんと副社長は仕事のコンセンサスは取っていたのですか?

清水:最初の頃は取っていました。と思いますよ。よく覚えていないけれど。(笑) 今はもう任せていますね。彼女はね、ベースに「人が好き」というのがあるので、相手と長く話していても疲れないんですよ。僕は逆に「用件は何?」「結論を先に言ってから後で説明して!」というタイプなので。(笑)

内山田:そうなんですよねぇ。(笑) バイタリティがとてもある方で、僕も設立当初から副社長には随分とお世話になっております。

清水:やはり弊社が長く会社を継続できている秘訣は、良いお取引先様と長く商売をさせてもらっているからだと思うのです。それというのは逆を言えば、お取引先様の考え方や商売の仕方が弊社と合っているということだと思うんですよね。これまでもたくさんの会社とお取引してきましたが1回限りで終わってしまうケースはいくらでもありましたからね。最終的に「気が合う」「意見が合う」「気持ちが通じる」ということが、お客様もそうだし営業にも会社にも言える大切なポイントになるのではないかと思っています。

内山田:社員の方の育成について、やはりそういう「想い」を伝えて行きたいということでしょうか?

清水:会社の理念にもあるのですが、我々は商品を供給してお客様が手にとって買っていただいた時に、自分が「嬉しい」と感じる気持ちがとても大切で、それを「大きくしたい!もっとたくさん欲しい!」と思った時に人は努力をすると思っています。「商品が売れたから嬉しいのではなく、買っていただいたお客様が喜んでる姿を見て嬉しい」そうありたいということはとても伝えていますね。自分がやりたいことはやってしまったらおしまいです。それでは続かないし、それだけをやりたいのであれば自分でお金を貯めて自分でやればいい。会社なので人とのコミュニケーションが一番大切で、継続して行くエネルギーというか「自分の存在が認められる。やったことに感謝される。」これに尽きると思います。僕が社員に「うちはたまたま模型を生業としてやっているが、これは別に変えてもいいんだよ。靴屋でも服屋でも何をやっても構わない」とよく言っています。例え将来的に半歩横にズレて「○○屋」をやっていようとも、通ずるものは一緒なんだということを伝えたいですね。それを支持してくれるお客様がいるのであれば。

内山田:これは清水さんご自身の経営感の中でも軸となるものなのでしょうか?

清水:そうですね。「誰かが喜んでいる姿を見て自分が嬉しい」ということがすごい醍醐味ではないかと思いますね。それをたくさんするためにいろいろなことをやっているのだと思っています。

壽屋が持っている可能性というのかなぁ。ブレずに「どうやったらお客様が喜んでくれるのか?」を追求して行きたい。

内山田:壽屋さんのイメージというと「老舗」のフレーズが強いのですが、僕が思うには相当チャレンジしているというか、スピードが早いですよね?

清水:そうそうそう。僕がせっかちなので。(笑)

内山田:来ました!キーワード!僕も弊社のスタッフたちから「社長はせっかちだ」とよく言われます!経営者って皆せっかちですよね!?(笑)

清水:早く結果が見たいですよね。早くやって早く失敗したら早く立ち直れるじゃないですか。成功するかしないかはわからないのだから、ダラダラやって失敗したら時間がもったいない。もちろん成功するために情報を収集したり、考えることは大切です。だけど時間を掛けたから成功するというものでもないだろうし。タイミングもあるだろうしね。

内山田:(スタッフに向けて)すみません、ここ強調して書いておいてくださいね!僕の代弁も含まれているので!(笑)

清水:(笑) 経営者のベースはせっかちと負けず嫌いだと思いますね。

内山田:なるほど!この言葉を聞き出すためのインタビューだったりします!!これもいつも皆さんに聞いているのですが、仕事に「達成感」はありますか?

清水:昔は例えば売上がこれだけ上がったというように、自分の力でやれたことが自分の達成感になったと思います。今は皆でやっているから、自分の達成感というよりも会社の達成感になって行きますね。でも、まだ先があるから。今は達成感を持つ前の通過点だと思っています。僕の夢は、ニューヨークの5番街に壽屋を出したいというもので、自分の代では叶わないから「あとは君たちでやってくれ」と言っているんですけどね。

内山田:素敵な夢ですね。まだまだ清水さんの代でできるのではないですか?でも逆に、立川の街がそうなっても良いのでは?とも思います。

清水:まぁでもここの場所にこのビルを建てられたというのも驚異と言えば驚異だと思います。今までを振り返れば…。

内山田:先日の新社屋の竣工式の際のご挨拶で僕が素敵な話だなと思ったのが「今のメンバーには随分背伸びした事務所を作ってしまったのですが、それに追いつくような会社になればいいよなと思っています」とお話されていて。日頃、経営をしているとどこかでブレーキを掛けてしまったりするのですが、「成るように頑張ればいいじゃない」というお考えがすごくいいなぁと思いました。社員の皆さんもひしひしと感じていると思うんですよね。またそこで次のステップが来るのでしょうし。すごく共感したと言ったらおこがましいのですが、学ばせてもらいました。最後に、今後の展開はどのようにお考えなのでしょうか?

清水:オリジナルコンテンツを持ちたいですね。あとは既存のお客様のさらに外側にいるお客様を取り込み広げて行きたいと思っています。壽屋が持っている可能性というのかなぁ。ブレずに「どうやったらお客様が喜んでくれるのか?」を追求して行きたいと思っています。例えば一回売れない商品を作ってしまい責任を痛切に感じている社員も中にはいますが、その中で成長して行くのだと思うのです。最初は「模型が好き」という気持ちで入社したけど、ただ好きなだけではダメだということがわかってきたと思うし。皆、だんだん大人になってきましたね。年齢は若いけれど考え方がしっかりしてきました。フィギュアやプラモデルや雑貨などすべての分野で弊社はチャレンジをしているので、また違う方向に道を作ってくれているんじゃないかなぁと思っていますね。

内山田:世代交代はやはりそういう道筋を作れる人がいいですよね。

清水:僕は3〜4年前から「60歳になったら辞める」と言っているのですが、もう60歳になってしまったからなぁ。(笑)

内山田:その頃くらいから清水さんにもお世話になっていますが、お会いするたびに「辞める、辞める」と言われていまして。でも「絶対辞めないだろうな」と周りの皆方々は言っていましたよ。(笑)

清水:(笑) いや、自分の中では思っているんですよ。やっている仕事が若い人をターゲットにしているのに、経営している人たちが頭が古くなってしまうのはどうなの?というのはすごく考えていて。だから本当はもっと、壽屋が大事にしている「お客様を大事にする」マインドを継承してくれれば、年齢は関係ないと思っています。

内山田:やはり深いですよね。弊社の社員も壽屋さんの社員さんと懇意にさせていただいていますが、現場同士でもシンパシーを感じているのではないかと思っています。弊社も良い意味で負けずに頑張りたい。やはりお役に立ちたいですね。そう考えています。

清水:ありがとうございます。最近、結構相談を受けるようになったんですよ。若い人が頑張っている姿を見ると、助けたくなってしまう。商売や損得関係なく。自分が経験してきたことを伝えてあげたいと思います。決めるのは彼らだから「こうしたほうが良い」と断言しないようにしていますけどね。

内山田:アドバイスを頂けるというか、相手してもらえるだけでも有り難いですね。清水さんは「やれることをやってきた積み重ねだ」と仰るかもしれませんが、業界から見ると清水さんは重鎮的な立ち位置ですから。

清水:そんなことはないでしょう。(苦笑) 「辞める、辞める」と言いながらまだ若いと思っているし。(笑) 自分の頭の中では20歳の時から変わっていないんですよ。しょうがないよねぇ。

内山田:そういう清水さんのセンサーのキレの良さというものは、今も全然変わらないのでしょうね。多分見えてしまうのではなく、気付いてしまう。「ここダメ」「ここ押せ」と。持って生まれたものではないかと思います。「危機感」はいつの時代もあったとしても表に出さず、むしろそんなこと考えている暇があったらやってしまおう!という感じで走ってこられたのでしょうね。
今日は色々と貴重なお話をありがとうございました!

清水:こんな感じで良かったのですか?なんか雑談しかしていないけれど。(笑) もっと偉そうなことや蘊蓄のある話も引き出せば出てくるんだけど。(笑)

内山田:全然OKです!聞き手が未熟な者ですみません。でも、このインタビューは取り繕ったものではなく、「生の社長像に迫りそれをご紹介したい!」というコンセプトですので!本当に今日はありがとうございました!

清水:こちらこそありがとうございました。