安藝貴範

株式会社グッドスマイルカンパニー
代表取締役社長 安藝貴範氏

PROFILE

1971年生まれ。香川県出身。2001年同社を設立。シリーズ展開している「ねんどろいど」は発売スタート後、総出荷数500万強を出荷し、幅広い層に人気のあるシリーズに成長。近年は、フィギュアの枠を超え、モータースポーツ、アニメコンテンツ、オンラインゲーム、海外アーティストとのコラボなどさまざまな形で日本コンテンツを世界に向けて展開中。2015年5月16日・17日に日本で初開催される「Red Bull Air Race Chiba 2015」のオフィシャルパートナー。

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「商品は知っているけど作っているメーカーのことはよく知らない…」「どんな人がこの商品に関わっているのだろう…」そんな商品を製造している企業や人たちにフォーカスを絞って紹介してみようというこの企画。第ニ回目のゲストは、フィギュアメーカーのリーディングカンパニー、株式会社グッドスマイルカンパニー 代表取締役社長の安藝貴範氏にお話を伺いました。フィギュア業界に留まらず、ジャンルや垣根を飛び越え、多岐に渡り事業展開されているグッドスマイルカンパニーの原動力とは?基本は“バックアップ”と語り、いつも誰かの幸せを願いながら道なき道を世界へと切り開いて行く安藝氏の想いに迫るロングインタビュー!

[スピーカー]
株式会社グッドスマイルカンパニー 代表取締役社長 安藝貴範氏
株式会社カフェレオ 代表取締役 内山田昇平
取材日:2015年2月19日 場所:グッドスマイルカンパニー
構成:里見亮(有限会社日本産業広告社)

何か他でやっていないものをやりたいなと思っていて。

内山田昇平(以下/内山田):今日はお忙しい中ありがとうございます!ご存じグッドスマイルカンパニー代表の安藝さんにご登場いただいた訳ですが本日は同業的な視点からいろいろとお話伺えたらと思っています。さて、うちは(当社)は2001年8月に設立しているのですが...

安藝貴範氏(以下敬称略/安藝):うち(当社)は3か月先輩ですね。

内山田:フィギュアメーカーのリーディングカンパニーとなられた訳ですが当時は現在のイメージってありました?

安藝:いえいえ そもそもフィギュアを作る会社ではなかったですから。

内山田:ではまずは会社を始めるきっかけあたりから話を聞いてもいいですか?

安藝:もともとは芸能事務所をやっていたのですが、その縁でフィギュアにも関わるようになって行きました。当時はフィギュアにあまり興味もなかったのですが、ある時期からフィギュアのクオリティーが良くなって、食玩がすごく流行り出したんですね。その時、ヒット商品を他社が出しているのを見て、マックスさん(MAX渡邊氏)と「同じホビーメーカーとして悔しくないの?」「悔しいに決まってんだろ!」みたいな話をしていて。「よし、何かやろう!」となり、なんとなく知り合いに連絡したら、翌日にはもう味覚糖さんと会って、すぐに食玩をやることになりました。で、何やろう?という話になり、僕がエジプトとか古代文明が大好きで、何か他でやっていないものをやりたいなと思っていて。当時はそんな感じでよかったじゃないですか(笑)それが『コレクト倶楽部 世界の七不思議編』で以降のシリーズとなりました。結果ヒットして、それからはいろいろな食品メーカーさんとお仕事をさせていただき、食玩を作って行くようになりましたね。

内山田:コレクト倶楽部の『世界の七不思議』は安藝さんのアイデアだったのですね!

安藝:そうですね。
で、芸能の仕事もやっていたのですが、なかなかうまくいかなくて。芸能で人を育てるというのはお金もかかるので、ホビーの企画や、あと釣り具屋もやっていましたね。それに映像や音楽を作ったり、イベント運営したり。当時はやれること何でもやっていました。

内山田:その中でも特にこれを!という仕事はありました?

安藝:芸能事務所ですね。それをやりたかったけど、その夢が途切れた時点で燃え尽きました。もう未だに燃え尽きたままです(笑)それからはホビーに傾倒して行ったという感じですかね。

「こうしたらうまく行くのに」と導いてあげたり…そういうことが好きですね。

内山田:えっ燃え尽きたというけど…これまで達成感みたいなものは感じてないんですか?

安藝:感じないですね。作家さんとか、うちのスタッフもそうですけど、一生懸命やる才能って悪くないセンスだと思っています。または何かがすごい好きとか。そういう人たちに環境を作ったり、「こうしたらうまく行くのに」と導いてあげたり…そういうことが好きですね。構造がよくない場合は修正して行くのが得意ですね。芸能事務所の仕事も近いかも。マネジメントとかバックアップがメインの仕事なんだろうなと思います。
なんかうちのスタッフって、主体性がないよね?(スタッフ苦笑)

内山田:どう答えたらいいか分からないでしょう…「ない」とも言えない(笑)

安藝:いや、僕に主体性がないからなのかなって気がしますけど。どっちかっていうと、バックアップに付きたがるというかね。

内山田:でもグッスマさんって世間からは「攻め」のイメージと思われている気もします。

安藝:うちのスタッフってストイックだと思うのです。真面目だし。すごいちゃんとやるし。一方でちゃんとやり過ぎてしまうところもあって…「もっと行きなよ!」というか、もっとはじけてもいいよと思う時もあります。注目されると自分たちが本来持っているパワー以上に効率がよく上がるんですよね。より注目度が上がったりバズったり。小さな力を大きく波及させることができるという意味で。
“渦”を大きくして行くというか、もっともっといろいろやって行けたらいいなと思っていますね。みんな真面目なので常にいろいろ投入して行った方がみんなも面白いかなと。
そんなところが、外から見たらいろいろやっているように見えるのかもしれないですね。

『ねんどろいど』や『figma』などが「ブレイクスルー」か?と言えば、僕はそうではないと思っています。

内山田:グッスマさんと言えば『ねんどろいど』や『figma』などのブレイクスルーの入口はどんな感じでした?

安藝:『ねんどろいど』や『figma』などが「ブレイクスルー」か?と言えば、僕はそうではないと思っています。ホビーに関して言うと「流通」を変えて行ったことですね。これは否定的な話ではないのですが当時の流通のスタイルが非常に古かった。
模型などは問屋さんが在庫を管理し小売りさんが新商品をPRして地元のユーザーさんに伝えて行くというスタイルが完成されていました。それに対して完成品フィギュアは…手元に持っていたらだめじゃないですか?どれが売れるか分からないから誰も在庫が持てないという状況でした。すぐに値段も下がっちゃうし…。

内山田:サイクルも早いですよね。

安藝:そうそう。「欲しい」という情報を持っているのはユーザーさんだけで、製品情報を発信するのはメーカーだけ。だからメーカーとユーザーさんが繋がらざるを得ない構造だったんですよね。情報が少ないから問屋さんも小売りさんも在庫が持てない。だから受注を開始しても店頭に製品が並びきらないという状況でした。
そこで店頭販促に連動する形での受注を促進していったのですが、それでもやっぱり安心できないということになり…。基本的にはやっぱり予約だろうと。僕らとしては予約が入りやすい小売りさんと繋がっていたんですよね。
当時はメーカーから出す情報って商品名と価格だけとか一行くらいしかないのが普通で。問屋さんはその限られた情報をリストにして小売りさんに送る。だから正確な製品の情報が良く分からない。流通の人たちもカラーの画像なども持っていなかったんですよ。商品案内書をちゃんとデザインして写真も撮ってお送りして店頭に掲載していただいて。それに店舗さん用のWEBサイトも整備して、やっと小売りさんとしっかり繋がるようになりました。
もう一つ大事だったのが「製造」です。原型写真は綺麗でも実際に販売する商品の品質と違うというケースも多かった。ですので小売店の方々が安心して発注できないということから製造の方法論もガラッと変えました。精度の高いものを作る為に開発方針から変えました。それもかなり大きく影響してたぶん今のPVCフィギュアの流れにも繋がったんだと思います。

内山田:お客様から見たら当たり前のことが、当時は非常に難しかったですよね…

安藝:そうですね。写真と同じものが届くだけで、驚かれていましたね。
で、当時一番バックアップになったのがデジカメの流行ですね。どんどん高画質化され身近にもなってフィギュアを撮りたくなる。よくできたフィギュアを撮ると写真が上手くなった気がするんですよ。綺麗なモデルさんを撮った時のように。別にフィギュアだから嫌がりもしないし(笑)
綺麗に撮れたら見せたくなっちゃうから、レビューサイトがすごく流行っていきました。
さらに大きかったのが、そのレビューの横にアフェリエイトが貼られます。アマゾンさん向けのバナー(広告)としてドーンと各ページに用意して、僕らが目立つ商品を出すと、その紹介レビューが書かれて、何かしらの情報になっていろいろなページに貼られて、その横のアフェリエイトにリンクすると、2、3日後には30万リンクあったんですよ。
大変な露出量の宣伝ができるということは僕らが意図的にやっていたのですが、そちらの方が、『ねんどろいど』とか『figma』のきっかけよりもずっと重要で、「フィギュアは伝達力がある情報ソースである」ということが確立されたことが大きかったですね。
フィギュアの新作が気になる、拡散される、という状況を作れたことは本当に大きくてそれがベースにあるので。『ねんどろいど』の時は訳も分からずにやっていたけど、『figma』の時はそれに自信があるからできました。
いいものさえ作れば、絶対僕らの情報は拡散されると思ったのです。

いや、好きなだけで。ワンフェスの生放送の時なんて、自分たちでサーバ用意してやっていましたからね(笑)

内山田:そういった意味でも、安藝さんはSNSの活用が早かったですよね?

安藝:ニコ動で広告にしたのは僕らが最初でしたね。ニコニコ生放送もほとんど最初だったと思います。僕らでテストしていたから。

内山田:そうなんですね。それは戦略的にですか?

安藝:いや、好きなだけで。ビッグサイトでやったワンフェス(ワンダーフェスティバル)の生放送の時なんて、自分たちでサーバ用意してやっていましたからね(笑)それがきっかけで、翌年からも生番組をやるようになったのですが、次の年は結局1000人に繋がりました。おもしろいのが、その番組を観ていた人が2chで実況し始めて、僕らは放送と2chのスレの両方を見ながら配信していましたね。

内山田:それって今のニコ生の原型ですよね。

安藝:いいものをいいものとして伝える努力をクリエイターはしたがらないのです。誉められるは嫌じゃないけど、いいでしょうと人に見せるのは結構苦手みたいで。僕は「すごい、すごい」と誉めるのが仕事で(笑)
僕らの特長でいうと、情報発信力がみんなまだない状況の中で、比較的「中の人」に近い、クリエイティブを行う位置の人から直接情報を発信するということが魅力だったと思うんですよね。それは、僕たちのイメージ作りにも合っていたし、製作している人たちに聞くタイミングも僕らにはありました。ニコ動やTwitterも伸びていたし、そういう伸びているメディアに乗ることは大切なことだし、非常に楽に広がって行きましたね。
当時、Twitter社が僕らのところに相談に来たこともありましたよ。日本でなかなか広がらない中、うちのフォロワーは増えて行ったので、「どうやって広めるの?」と。
最小限のパワーで最大限の効果を得るということは、僕らは比較的上手だった気がします。
ただ情報発信の機能が充実して誰でも気楽にできるようになったので、例えば原作者やアニメの制作チームの人たちなど、より深い「中の人」が発信して行くようにもなりましたね。

内山田:そういう方の情報は信憑性が高いですよね。

安藝:そう!高いんですよ。
みんなが使えるようになって、実は僕らは情報伝達力が落ちてきていると思うのです。で、それに対抗する訳ではないけれど、常に「グッスマ」という単語が、僕たちの業界のような趣味に興味のある人たちの目に、一日一回は入るようにしようというのが、基本戦略ですね。戦略というか、そうなって欲しい。「いるよ。ここに」みたいな(笑)
そのためにカフェをやっていたり、そこへ来た人が「グッスマに来た」とか、どこどこで「グッスマの商品を買った」とか、それぞれのタイムラインに一日一回は、下手したら何十回も出て来るようにするため、戦略的に考えていますね。いつも目に慣れて欲しいと思っています。

エンターテイメントは、特に市場が拡がった方がみんなハッピーになれると思っています。

内山田:ワンフェスもキーワードではないですか?ああいった大きい舞台を作られて。とても衝撃的でした。

安藝:僕も衝撃的でしたよ。怒られるとは思っていなかったので。よかれと思ってやって、すっごい怒られた(笑)

内山田:あっ、最初ですか?「やり過ぎだ!」って?

安藝:はい。周りのブースからも「うるせー!」って。「ですよね…」みたいな(笑)

内山田:『ワンフェス』というイベントに「ショー」を持ち込んだのはグッスマさんの影響が大きいですよね。

安藝:最初は机しかなかったですからね。

内山田:ですよね。もちろんそのベースは今もあるし、大事なことだとは思うのですが。

安藝:趣味ってだんだん先鋭化するので、先鋭化したら市場ってシュリンクしていくじゃないですか?やっぱり拡散方向に力尽くで持って行く作業も、時には必要だと思うんですよね。簡単に言うと、ワンフェスにいろいろな人が来てくれればいいし、仮にホビーに興味がなくても、来てみれば「意外といいじゃん!」ということに繋がって行くかもしれないので。

内山田:市場を拡げていくという。

安藝:そうです、そうです。
基本、市場は拡がっていないと不幸なんですよね。シェアの取り合いになるので。そうすると不幸な競争になるじゃないですか?エンターテイメントは、特に市場が拡がった方がみんなハッピーになれるし、真面目な人が儲かるから。
そういう状況を維持したかったので、できるだけ拡散して行く方向で頑張ってやっているのですが、最初は理解してもらえないこともありましたね。

内山田:『生ワンホビ』というのは、イベント終了後にやってたんですか?

安藝:イベント中も生放送はやっているのですが、イベント終了後に22時くらいから朝までここ(オフィス)で生番組をやっていましたね。

内山田:この発想もまた…強烈だな!と思っていました。

安藝:イベント中は、回線開けるのが1000人くらいなので、それ以外の方にもということで、僕の机の周りに飲み物とか食事を並べて、ワンフェスに来ている原型師さんとかを呼んで、ぐだぐだ話すだけなんですけど。まったく台本なしで。

内山田:昼間だってすごい体力使っているのにその夜も…いや、すごいパワーです。

安藝:まぁ大変ですけどね。
ワンフェスも当初の来場数から今では倍以上になりましたからね。ほんと、みんな頑張りましたよね。

内山田:安藝さんを動かす根底にあるものは、基本自分が「楽しいから」ですか?
安藝:「楽しい」というか、「楽しくなって欲しい」が大きいかもしれないですね。喜んでくれたら「満足!」みたいな。

もう完走するだけでみんな大泣きするんです。ファンも一緒に。

内山田:それではもう一つの話として、レーシングのお話もお伺いしたいのですが…。きっかけは?

安藝:きっかけは、しがらみ?(笑)で、知り合いがレースをしたいと…。正確に言うと「レースをしたい人がいる」ところからですね。で、「痛車」が流行っているとなり。「痛車」と言えば「オタク」だと。オタク業界で言えば知り合いの中で僕だろうということで連絡が来ました。レースでスポンサー探すの大変だから、痛車でレースをするということで注目を集めよう、となったんですね。
で、どんな痛車にする?となって、ちょうど初音ミクがきている時期でした。盛り上げるにはソーシャルな感じもあっていいよねとなって、初音ミクが絡めないか?とクリプトンさんに話に行きました。ちゃんと面倒みてくれるならいいよと言っていただき版権を使えるようにしてもらえました。

内山田:そこは信頼関係ですよね。

安藝:ありがたいですね。
『ねんどろいど』とかをやって、ちょうど一緒に盛り上げて行こうと仲良くやっていたので。今も仲良しですけど。
僕らはほんとそのお手伝い。基本的にバックアップでスタートしましたね。

内山田:でも、フィットしましたよね、初音ミク。

安藝:そうですね。当初はうまく行きましたね。
でもだからと言って、スポンサーが集まるとは限らない訳ですよ。そもそもレースのスポンサーを集めることは大変なことで、資金難に陥って行くのです。
そこで、ファンの人たちに資金面でも応援してもらう、今で言うクラウドファンディングのような、「個人スポンサー制度」を取り入れてみたりしたのですが、チームは弱いし、走っても壊れるしで。

内山田:やっぱり、自分の車が遅くてそれを観たりするのって、ストレスを感じるのですか?

安藝:ストレスというよりは、面白かったですね。「次はここを改造しよう!」なんて言って(笑)弱いなら弱いなりに「じゃあ頑張ろうぜ!」みたいな感じがあったんですよね。それと、初音ミクも出始めで、被ってくるわけですよ。お客様の感情が。ミクを応援するのと、この弱いチームを応援することが。すごい面白かったんですよ。初年度は最終戦でやっと完走できて、もう完走するだけでみんな大泣きするんです。ファンも一緒に。盛り上がっているけどお金がないという状況でしたね。
2年目に入って「個人スポンサー制度」をやってまあまあ費用も集まったのですが、それでもやっぱり足りなくて、当時のオーナーがレースを辞めるわけです。だけど個人スポンサーを集めた手前、辞められないじゃん!と。3年目に突入せざる得ない!となって、僕らで引き受けて車をポルシェにチェンジして続けることになりました。そして、その年の最終戦で、なんと予選2位になるわけですよ!今までの流れからすると有り得ないんですよ。「予選2位って何?」みたいな。みんなすごい期待して決勝に向かいました。決勝はローリングスタートと言って、まず一周フォーメーションラップをして、動きながら用意ドン!という形だったのですが、最終コーナーを回って来ると、2位にいるはずの車がいない…。フォーメーションラップで、ブインブインとタイヤを温めている時にスピンしちゃったんですよ!(一同笑)いないぞ!どこにいるんだよ!って言ってたら、無線でドライバーから「ごめんなさい、ごめんなさい」って(笑)2位という最高のポジションは一周も保たずに最終戦を終えたのですが、「この状態で辞められないだろう!」(笑)となり、翌年からBMWにチェンジして、ここから勝つ体制を作ろう!となって行きました。
そうしたらいきなり、その年にチャンピオンになるのですが、勝つと二連覇したくなるじゃないですか?二連覇ってGT史上誰も成してないのです。よし、やるぞ!2台体制だ!って気合い入れたらぜんぜんだめで。二連覇の夢が途切れました。二連覇したら辞めようと思っているけど、二連覇したら三連覇したくなるかもしれないですね(笑)

一番肝だったのが、日本で一番最初ということで。次だと2回目になってしまうし。

内山田:基本、負けず嫌いですよね?(笑)

安藝:無茶苦茶負けず嫌いです。はい。(笑)
でも僕なんかより、うちのドライバーの方がぜんぜん負けず嫌いですよ。あとうちの原型師とか。寝ないし、帰らないし。心配になります。やっぱり負けたくないんですよね。誉められたいし。

内山田:それ重要ですよね。「誉められたいから頑張る!」というのってあると思いますね。

安藝:そうですよね。
実は、世界中で誉れられているということも本人たちは良く知らないんですよ。それを伝えて行くのが、僕らの仕事で。そこにもいるんだ、ということが解れば、モノをつくる時にその人たちのことも気にするじゃないですか?特にアニメ製作の人たちには知らしてあげないといけなくて、「海外でも君のアニメ大人気だよ!」ということを解らないと、日本の限られた方たち向けに作ろうとしてしまうし。「あっちにもこっちにもいるんだよ」ということを伝えて行くことが、僕らの使命と思ってやっていますね。

内山田:そういう部分ではすべてがピースになっているというか、繋がっていますよね。

安藝:そうですね。
(グループ内には)いろいろなチームが今はあるので、だいぶワンストップで、それぞれ使命感を持ってやるべきことを、仲間たちだけでやれるようにはなって来ましたね。

内山田:5月に千葉で開催される、噂のエアレースにも関わっているそうで。いろいろ広がっていますね。

安藝:そうですね。
もちろん面白そうということもあったのですが、一番肝だったのが、日本で一番最初ということで。「日本で初開催」なんて、そんなに機会がないじゃないですか?次だと2回目になってしまうし。イベント全体を主催する立場で参加しているのですが、エアレースはもちろん、レッドブル・アスリートも登場するみたいでサイドアクトも充実して1日中楽しめると思います。

僕らは僕らなりのヒットを生み出さなければいけないと思っています。

内山田:最後に今後のグッスマさんの展望をお伺いできればと。やはり、海外などは大きな戦略の一つなんですかね?

安藝:海外は今、特に北米と東南アジアなどが伸びているのですが、そこからほとんどすべてのアニメの作品がサイマル配信されていて、日本とほぼタイムラグがなく見れます。なので、ほぼ同時にフィギュアが欲しいとかグッズが欲しいという需要も立ち上がる状況で、それに対して僕らも英語・フランス語・中国語・スペイン語・ドイツ語の5カ国語で同時に情報を発信しています。遅れると、その地域の人たちがちょっと寂しいじゃないですか?「なんだ、いいんだドイツは…こっち見てないんだ…。」とならないように、同時に情報を発信していると、非常にコミュニケーションが取れるのです。何に反応しているかが分かるし、誰がつくっているとか、どういう感じで僕たちがこれをみなさんに届けているのかということが伝わるようになって来ていると思いますね。
それに応じて、グッと市場も伸びて来ているかと。
ただ、それだけだと、日本好きの人にしか刺さりきらない気がしていて、アニメのルックの問題もかなり大きいし、ベースが日本語で開発された作品が多いので、宗教的な問題も壁になったり…。
例えば、アメリカのドラマとか映画を観ていると、家族愛とか兄弟愛がもう尋常ではないじゃないですか。「いや、そこまでして無理してクリスマスに家帰らないでしょう?」と僕らは正直感じるわけで(笑)やっぱり、例えば英語ベースとか、ドイツ語ベースなど、それぞれその地域での作品づくりを考えて行かないといけないよね、とは思っていますね。
僕たちのクリエイティブって、テクニックと文化に根ざしたセンスなどいろいろあると思うのですが、テクニックでだけで言うと、全世界に通用する人は日本のアニメ業界にいっぱいいるんですよ。うちのスタジオにいるクリエイターたちは海外で活躍しているクリエイターに全然負けてないし、天才だし、無茶苦茶仕事するし。まぁ彼ら英語喋れないし、日本の作家とのお仕事が好きだから日本にいてくれてますけど(笑)
やっぱり、海外に向けて彼らをアピールしなければいけないし、彼らと向こうの文化的なセンスとか求められているものを、ちゃんと分かっている人とのマッチングを改めて始めないと、最終的に刺さらないと思っています。非常にお金も手間も時間も掛かるのですが、そこはしっかりやって行かなければと思いますね。
今は、マーチャンダイジングが必ず必要で、カードゲームなのかキーホルダーなのかフィギュアなのか、作品と作品の間をマーチャンダイジングでちゃんと繋いで、作品自体をぐーっと長く保たせるような作業を僕らがやるべきだと思っていますね。「世界」というものを視野に入れながら、日本の力をちゃんとそこに向けて活かして行くというプロデュースを僕らはやるべきで、もうその準備は整っているので、「じゃ、やろう!」というのが今年、来年、これからだと思っています。

内山田:一通りお話を伺っていると、安藝さんがいろいろ描いていることの一つ一つが、ジグソーパズルのピースになっているようで、繋がっている!という気がしてならないのですが…

安藝:だといいなと思いますし、それぞれがそれぞれに興味があるといいなと思っています。単体でそれぞれが存在していてもしょうがない。“興味深いモノ”にセットアップはしてきているつもりなので、ここから人が動くはずなんですよ。フィギュアを作っている人が、アニメのチームに入って行ったり。全部を知らなければいけない時代だと思うんですよね。偏っていると、非常に狭窄するというか、視野が狭くなるし。やっぱり問題なのは、それぞれの分野で先鋭化してしまうことだと思います。そうなると狭い範囲で高度に評価されたものだけが、ポツポツと点のように分散すると思うんですよね。先鋭化し過ぎてしまうと理解しにくくなる部分もあるじゃないですか?そこまで行ってしまうと…僕らの大衆娯楽はそうではないと思うんですよね。

内山田:ちょっと乱暴だけど、どこかでは「解りやすい」というか「面白ければいい」というかみたいな…。

安藝:プレイヤーがアーティストなのは構わないと思います。でも、そこを運用すべきだし、個人に価値が付いて行く必要はあると思います。
ただ、それだけではだめで、市場を大きくしなければいけない。で、彼らを運用する術というのは、ワンストップでないともうたぶんできないと思います。僕らの手の内や仲間の中にある程度揃っている状態は必要なんだろうなと思っていますね。
だとすると非常に魅力的に見えるんですよ。外からは。特に海外からは。めちゃくちゃ興味を持たれるから、本当に僕らがリーチできないようなビッグネームに、結構容易にリーチできるのです。逆に声掛けてくれたり。そういう、外の力をうまく使うといことも大事なことだと思います。
今後は、この業界でも大きなチームが増えてくると思いますね。合併含めて。
僕たちには僕たちの個性があると思うから、その中で僕らは僕らなりのヒットを生み出さなければいけないと思っています。ヒットがすべてだと思うから。これからは。最長でも5年くらいのうちに、世界的にヒットするコンテンツを打ち込んで行くしかないかなと思っていますね。

内山田:今後の一つの目標が、「ヒットを出す」と。

安藝:そうですね。大きなヒットは欲しいですね。それは結果でしかないから、それに向けてのアプローチというか、歩みというものを止めないようにして行く、価値を維持できるか?ですよね。お金があるうちに。もうお金は使い切る気、満々ですから(笑)

内山田:来年15周年ということで、何か考えているのでしょうか?

安藝:今、会議していますよ。まぁ、15周年が特別ではないとは思うので、どちらかというと「感謝を込めて」というコンセプトでやろうとは思っていますね。

内山田:貴重なお話をたくさん伺えました。ありがとうございました!